トップページ

■喪男ってどうして暗いの?



喪男は暗い、というイメージがあります。その通りだと思います。喪が明るかったらそれはそれで気持ち悪いし叩かれるでしょう。喪男は暗くあるべきなのです。おとなしく静かに、目立たないように注意しなければならないのです。しかしどうしても、喪男というのは普通と違う(浮いている)という変な理由で目立ってしまいます。「目立たされて」しまいます。他のものたちの陰口やいじめ行為によって。そんな場合がほとんどなのです。そのような状況で喪男はどのようにその場を切り抜けるか、実際に経験したことも含めてお話したいと思います。

■忍者のように・・・

「目立たず静かに迅速に」これが喪男が行動する時に心がけるです。簡単に言えば忍者のように生きるということです。歩くときも走るときもただ立ち止まっているときも、常に警戒し、与えられた仕事だけをこなし即座に立ち去る。これこそ喪男の動きに通じます。そしてこれこそ喪男の生き方そのものなのです。

■兵士のように・・・

外出する、ということは敵地に武器を持たずに入っていくようなものです。喪男からすれば外はそれだけ危険ということです。外にはさまざまな人がいます。ほとんどが喪男の敵と考えていいです。中には喪男に理解のある人がいるかもしれません。しかしいたとしても見た目などではまったく見分けることができません。つまり外というのは長時間いるところではないのです。移動するのも戦場を行くように慎重に迅速に正しいルートを想定して確実に進まなければなりません。無差別の砲撃、いたるところに埋まっている地雷・・・どこからスナイパーが狙っているかわからないのです。いくら気をつけていても撃たれるときは撃たれるものです。無理をせずダメージを最小限に抑えて進むなどさまざまな戦略が必要です。喪男とは常に傷ついている孤高の兵士なのです。戦場に放たれた一人の兵士のように生き抜くしか道はないのです。

しっかりと作戦を立てて準備をして外出するのはまだいいです。しかし突然外出しないといけない場合はかなりきついです。急用などで外へ長時間いないといけない、なんて最悪です。捕虜になったも同然です。そんなときは下を向きできるだけ目立たないように何を言われても反応せず耐え抜くしかないのです。どんなに惨めでもどんなに辛くてもそうするしかないのですから・・・僕も幾度もそのような場面に直面したことがあります。しかしまだ生きているようです・・・

■最後に〜生きるために〜

無事に外出を終え家に帰ってきたとしても休む暇はほんの少ししかありません。まったくない人もいるでしょう。たとえ家といえども喪男に安息の地はないのです。喪男にはさまざまな悩みや独自の苦しみがあるのです。今日が終わればまた明日・・・明日が終われば明後日と喪男の苦難は続いていきます。終わらないのです。

「死者だけが戦争の終わりを見た」-プラトン

戦争を終わらせるもの・・・それは死しかないということです。たとえ今日生き延びても明日はまだ戦争が続いているのです。決して、死ねと言っているのではありません。この苦しみから解放されるには死しかないということです。そしてただただ私達は生き延びるしかないのです。死は最終手段です。一度喪男になってしまったら簡単には抜け出せないのです・・・

「第一の災いが過ぎ去った。見よ、この後、更に二つの災いがやって来る」ヨハネの黙示録9-12

喪男は諦めて耐えて耐えて泣いて生きるしかないのです・・・しかしそれは間違っているわけではなく普通の人と呼ばれる人々よりずっと正しい生き方なのです。喪男は間違っていない、正しいのだから。

〜おわり〜

(後に作成する「喪男って同情されるんじゃないの?」や「喪男はどうしてそんなに耐えられるの?」と合わせて読むことをおすすめします)